スポーツ歯科-最近の動向-

歯を食いしばる”とは、無念、苦痛、困難などを精神的に耐えるとか、頑張る様子を表現しています。一方身体的には、世界の青木功さん(ゴルフ)や、伊達公子さん(テニス)がインパクトの瞬間、食いしばっている様子をテレビの画面や報道写真でよく目にします。 その噛み締めや食いしばりができなくなってしまったらどうなてしまうのか興味があるところです。 フランスのワールドカップで城選手(サッカー)がガムを噛んでいたことでひんしゅくをかいました。野球でも打者はよくガムや噛みタバコを噛んでいます。以前ジャイアンツにいたガルベス選手は舌を出しながら投げており、噛まないように勤めていたように見受けられます。王さんは打つ瞬間、咬筋の輪郭がくっきり浮き出るほどにかみ締めていたように思います。噛んだり、逆に噛まないようにすることが競技のパフォーマンスに何かよい効果をもたらすのでしょうか?あるボクシングジムのコーチが”難しいテクニックを教えるときには、選手にガムを噛ませて育てた”といいます。 距離を、速さを、時間を、正確さを競う、そのための姿勢、筋力の発現と口腔機能とにどのような関連があるのか、また今日わが国でも自らの体力増進のため、あるいは余暇を楽しむためにスポーツに参加する人が多くなりました。より安全に、より楽しく参加できるようスポーツ外傷とその安全対策、マウスガード(マウスピース)についてここに紹介させていただきます。

1、スポーツ外傷

スポーツ外傷 は、トップアスリートにとって最悪の場合、選手生命に影響を及ぼすことになりかねません。コンタクトスポーツで顔面や頭部に外傷を受けた場合、その場で戦意喪失を起こすばかりでなく、再び同じような場面に遭遇すると、潜在的な記憶によってそれを回避しようとする力が働き、一瞬の隙をつかれることになるといわれています。また、歯科医療の進歩とともにカリエス(虫歯)は抑止されつつあるのに対して、スポーツによって歯を失うことは非常に痛ましいことです。 わが国ではアイスホッケーやラグビーにおいて(大和魂の名残でしょうか)競技中に歯を折ることを戦歴の勲章としていた時代があったようです。 欧米ではありえないことで、西部劇の決まり文句に”お前の歯をへし折ってやる”とあるように、歯を失うことはそれだけ屈辱なことです。昨年、釧路市を本拠地とする日本製紙クレインズ(アイスホッケー)の選手を対象にアンケート調査したところ、その70%に口腔内裂傷や歯の脱落、下額骨骨折などを経験していました。 しかしながら、防具としてのフェイスガードやマウスガードを装着している選手はわずかでした。 また、頭頚部領域の外傷として脳震盪もあげられます。ボクシングの”Punch Drunk Syndrome”はノックアウト、すなわち脳震盪を繰り返すことによる脳損傷といわれ、ラグビーなどのフィールドスポーツでは、たとえ軽い脳震盪だとしても繰り返すことにより脳が萎縮し、さまざまな障害をきたすといわれています。以前、フィールドで倒れた選手に”魔法のヤカン”と称して頭から水を浴びせ、プレーを続行させていた光景が非常に危険な行為であったことになります。

2、マウスガードについて

1913年頃イギリスのボクシング選手が口腔内の怪我を防ぐために綿やゴムを口の中に介在させたのが最初といわれています。マウスガードは装着時のクレンチング(噛み締め)により頚部周囲筋の筋活動量が上がり、損傷を軽減させるという報告があるほか、装着による安心感から、よりエキサイティングなプレーへと結び付くことになります。一般にマウスピース、マウスプロテクター、ガムシールドなどという名称で呼ばれており、専門用語としては欧米諸国においてもまだ統一されていませんが、学会等ではマウスガードが多用される傾向にあります。現在、日本で装着が完全義務化になっている競技はボクシング、キックボクシング、アメリカンフットボールのみであり、流派や連盟によって一般義務化になっている競技はラクロス、空手、インラインホッケー、ラグビーです。しかしながら、サッカーをはじめ柔道やアイスホッケーなど動的スポーツのほとんどはコンタクトスポーツとして、なんらかの接触プレーがあると考えられます。 ラグビーの盛んなオーストラリアでは子供のころから装着が義務付けられており、仮に忘れてくると、その不安から逆に子供たちが試合に出たがらないほどです。 マウスガードの購入手段はスポーツ用品店などで市販されている既成のもの(ストックタイプ、マウスフォームドタイプ)と歯科医院で製作するもの(カスタムメイドタイプ)の大きく2つに分けられます。市販のものは後者に比べると適合(装着感)が悪いために呼吸障害や吐き気を訴える選手が多く、結局使わなくなる傾向があります。 また、怪我の予防効果にも違いが出てくることはいうまでもありません。

3、マウスガードの効果

A:噛み合わせとバランス(身体平衡機能)  スポーツと歯科に関する文献を検索すると1964年アメリカのstengerらがアメリカンフットボールの選手にマウスガードを入れたところ脳震盪を起こす症例が減ったことを米国歯科医師会雑誌で論文として発表したのが最初のようです。その後、欧米を初め日本でも研究が進められ、最近ではマウスガードがスポーツパフォーマンス(競技能力)の向上に期待されるようになりました。 オリンピックをはじめ各種スポーツにおいてドーピング検査が煩雑になり、多額の費用をかけてシューズやユニフォームが改良されるなど、世界水準になるためには身体の特殊な開発が必要となっています。そんななか、がぜん口腔内が注目されるようになり、噛み締めることと運動機能について心配機能や筋活動などの生理的分野から研究が進められています。ヒトの直立姿勢は、足底の狭い支持面に比べて重心の位置が高く、重い頭蓋が脊柱の最上部に位置しているため物理的に不安定な状態です。 その身体の揺らぎの情報を端的に表現できるものとして重心動揺があります。歯の欠損や虫歯などで噛み合わせの不調和が生じると、アゴの編位あるいは咀嚼筋に緊張が起こり、身体他部の筋群とのバランスが崩れ、重心動揺移動距離が大きくなります。 このようなものに対してマウスガードやスプリントなどの噛み合わせを安定させる装置装着により重心動揺が減少することが実証されています。すなわちスポーツ選手にとって非常に重要な平衡感覚(バランス)に寄与することが十分に考えられます。 このことからマウスガードは静的スポーツ(射撃、弓道、アーチェリー、ゴルフのパットなど)にもその的中率に効果が期待されます。 バランスの悪い選手は、ある一定のレベルからそれ以上は向上しないと言われており、アメリカではオリンピック選考の際、似通った成績を持つ複数の選手がいる場合には、重心動揺のより少ない方を代表に選ぶそうです。 B:噛み締め(くいしばり)とスポーツパフォーマンス  ニューヨークメッツの新庄選手が今シーズン第1号ホームランを打った際、マウスガードを使用していることをコメントしていました。

ゴルフのインパクトやテニスのサーブなど最大筋力を発揮する瞬間には、すべての人が噛み締めているのでしょうか?第66代横綱若乃花は」強く噛み締めるあまり、奥歯が割れたことがあったそうです。野球では王さんがある雑誌に”現役のときにマウスガードの存在を知っていればもっとホームランを打っていたかもしれない”とコメントしていました。 しかし、長島さんの場合、インパクトの瞬間は口が開いている写真ばかりです。現在の見解では最大筋力を発揮する瞬間に噛み締めている選手は70%と言われています。当科におけるラグビー選手を対象とした筋力測定の実験においても同様の結果でした。 つまり30%は装置を装着しても効果がないということになります。しかしながら口が開いている選手でも咀嚼筋や頚部の筋肉は必ず緊張していることがわかっています。 またスポーツの種類や最大筋力を発揮するスピードやタイミングによって違いがあるため、現在においても歯科領域のみならざ各分野で研究が進められています。 またガムを噛んでいる選手が多く見受けられるようになりました。以前に述べたサッカー選手の城選手は歯科医師に進められてガムを噛んでいました。 これは頭頚部周囲の筋肉に軽い緊張を繰り返し与えることによって最大筋力を発揮する瞬間にすばやく反応できる効果があります。今後あらゆるスポーツにおいてこのような光景が多くなると思います。 おわりに わが国は、世界に冠たる長寿国となり健康増進のためのスポーツ愛好家が増加の一途をたどっています。またトップアスリートにおいては己の限界に挑戦し、勝つために厳しいトレーニングを研鑽しています。健康医学の1つとしての21世紀におけるスポーツ歯学の役割は非常に重要となるものと思われます。